~ママ、ほっこりゆるんで、笑顔になって~
ママの笑顔をもっと増やしたい!助産師のえっちゃんこと悦喜桂子(えつき けいこ)です。
今回は「桶谷式の認定者になるための道~えっちゃんの場合~」をお伝えします。
今一度、おさらいとして
桶谷式治療手技(乳房マッサージ)とは、
故桶谷そとみ先生が考案された「痛くない・よくでる乳房マッサージ」です。
桶谷式の認定者とは、
その「痛くない・よく出る乳房マッサージ」が出来るよと認定されたを助産師のことです。
この桶谷式の認定者になるには桶谷式乳房管理法研修センターで1年間学ぶ必要があります。
研修センターは東京にひとつだけです。
研修センターで修了試験に合格し、最終的に認定試験に合格すると認定者になれます。
研修資格は助産師の有資格者で、助産師として臨床経験年数3年以上あることです。
私は35歳で助産師になり、JA広島総合病院に勤務しました。
勤務した決め手は自宅から通勤範囲だったこと!そしてなによりも桶谷式の母乳外来がある病院だったことです。
その当時母乳外来は藤原先生が担当されていました(現在は佐伯区楽々園で助産院を開業されている助産師さん)
私が助産師として働いて2年後、藤原先生が開業されるため退職されました。
私は母乳外来を担当する一員になりました。
母乳外来を担当させてもらったのは嬉しいのですが、不安ばかり・・・
私の未熟な乳房マッサージではよくなるのか?わるくなってしまうのではないか?
とにかく自信がなかったのです。
そんなとき藤原先生は「なにもせんよりはまし、やってみて」といつも励ましてくれました。
(その当時に私にマッサージを受けた方、すみませんです)
その自信のなさが行動力となり、夜勤明けやお休みの時を利用して、朝隈(あさくま)先生の所に
何度も見学に行かせてもらいました。
乳房マッサージの方法は教えてもらえませんが、先生の手技で硬く張ったおっぱいがほわほわになり、ピューピュー飛び出るようになる光景をいつも見ていました。
また、そばでどのような指導をされているのか聞いているだけでも大変勉強になりました。
そうこうしている間に、桶谷の研修資格である臨床経験3年が過ぎました。
私は、いつしか東京で1年学び、桶谷認定者になるのが夢になっていました。
しかしながら、子どもたちは二人とも小学生、家族を置いて単身赴任する勇気はありませんでした。
夫に相談すると、夫は子どもたちがOKならいいよでした。
試しに子どもたちに『母さんが1年間東京に行ってきてもいい?』ときくと、全身全霊、即答で「NO!」でした。
そりゃ、そうだよね。無理もないとあきらめました。
しばらくすると
でもやっぱり、東京で学びたい!
でも、無理
でも、やっぱり行きたい!
そんな葛藤の中、あきらめ切れない状態で悶々とした日々が過ぎていきました。
息子が高校3年生、娘が高校2年生の夏の終わりの頃です。
息子と娘が『私達が大学生になったらいいよ』と許可をくれました。
嬉しくなった私は、朝隈先生のところに行き、「2年後東京に行けそうなので、その時に推薦を下さい」とお願いに行きました。
先生の口からは意外な返事が・・・
「悦喜さん、正直に言うね。あなたはもういい年なのよ。私は出来れば若い人に行って欲しい。来年行くと言うならばまだ推薦するけれど、それ以降だと推薦できない。」
たしかに、私は45歳、決して若くない・・・
今しかない、決死の覚悟で家族と職場に相談したのが10月でした。
家族に相談すると・・・
夫はここでも、「こどもがOKならいいよ。」
子どもたちは「え~、約束より早いじゃん。嫌じゃけど・・・、そこまで母さんが言うのならば、入学試験受けて合格したら、行ってもいいよ! 」といってくれました。
職場では・・・
当時の看護部長に退職を願い出ましたが、却下され、相談の上1年間休職することになりました。
そして、12月の桶谷式乳房管理法研修センターの入学試験に無事に合格!
(当時の倍率は5倍程度だった)
合格を家族につたえたら・・・
夫は『おめでとう』
子どもたちは『正直嬉しくはないけど、応援する。頑張っておいでよ』でした。
ありがとう!ありがとう!
結局、息子が大学1年生、娘が高校3年生の時に、東京に1年間単身赴任させてもらいました。
約束よりちと早くてごめん。そして、ありがとう
家族の協力には大変感謝しています。
また、科長という病棟管理者でありながら、1年間も休職させて頂き、職場の皆さんに大変ご迷惑をおかけしたと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
2015年現在研修センターの定員は16名ですが、私が通った2006年の時は定員は12名でした。
東京で学んだ1年間は長くもあり、短くもあり。
私の人生の中で最もハードに学んだ1年間でもあります。
苦楽を共にした11名の同期は年齢の差はあるもののかけがえのない仲間です。
私が最年長で、一番若い同期の子とは20歳の差がありました。
もう母と娘と言ってもいいかも?位年の差ですね(^_^;)
そんなこんなで、家族、職場、朝隈先生、藤原先生、周囲のご協力のもと、桶谷式認定者になることができました。
今後は、助産師として、桶谷式認定者として、子育て中のママの笑顔を増やす活動をしていきたいと思います。
みなさま、よろしくお願い致します。
「桶谷式の認定者になるための道~えっちゃんの場合~」でした。